運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴
こんな悲惨な事故でも、マスコミはゲーム叩きがしたいようだ。こじつけも甚だしい。当然ながら因果関係を検証もしていない。そのようなマスコミの倫理に、自分を取り上げてくれるからと得意のゲーム脳理論を展開する呆けた老獪。
前から有る、実験もちゃんとされてる「TVを見ていると脳の働きが衰える」系の事には触れない。TVを見ない生活が時間へのゆとりや、能動的な生活習慣への変化を促す事は、日本人のTVを見る平均時間が5時間もある事も考えれば、ほとんど明白である。保身しか考えていないマスコミにはメスを入れて欲しいものだし、日本人はもっとTVを疑わなければならない。
この事件で本来考えなければならない事は、救助や再発防止、そして事件が起きた背景をこじつけではなく、きちんと検証しなければならない事だ。
加えて社会全体を見直す必要がある。日本の交通は世界一正確と言われるが、その必要がある過密な社会状態が時代にそぐわなくなってきているのだろう。
電車が混みすぎる→遅刻するから必要→本数を増やさなければならない→過密スケジュール→それを必要とさせる多くの企業が取る画一的な就業時間など→始業時間30分前に来るのが当たり前の社風の企業も多い→要求が多いため電車自体を増やすしかない→鉄道敷設などの公的な工事がしづらい→金が足りない→………etc
このように何事も解決のために必要な事や対応が連関していたり閉塞している。変えていかなければならない時ほど、ますます保守化するかの如く。上のような図は無数に考えられる。そこに痴漢などの犯罪要素を含めれば、さらにふくれあがる。
過密ダイヤでプレッシャー=遅れで集中できず事故と推察−JR西現役運転士が会見
ミスした運転士追い込む?再教育
この記事にもあるように、高い管理が必要とされる仕事が、現代人にはどんどんストレスになっているのも特徴だ。
日本の集団主義的な考え方が強い時代背景ならば、厳しい要求があるほど、責務に耐えらられず放棄するよりは、緊張と集中を生み忠実にこなしていく使命感が生まれたものだと思う。社会や多くの人のために、遅刻などはしないよう、という要求と自分自身の使命感が生まれる。そういった社会的要求に応える事は、自分自身の向上や使命と捉えられた。
しかし個人主義的な考え方が増え、自分が個人主義的なのにまだ他人に求めるのは、古いままではないだろうか。むしろ、先ほどの「社会や多くの人のために」部分が「自分のために」へと置き換わった要求とも言える。他人への要求も、社会や他人のためではなく、自分の都合で他人に様々な要求を出す。個人主義同士がかち合い、一方は仕事という義務の立場にあり逆らえない。これはストレスに弱い現代人ならば、大きな消耗にもなるだろう。
となると、緊張や集中の方向ではなく、モラルハザードの方向に向かってしまうのではないだろうか。まあ大丈夫だろう、きちっとやったって評価されない、誰もが自分の事しか考えてないんだから自分もそれで何が悪い、と。
高い倫理的要求をする人間が、全く倫理的でもなく、責任のない人間という事はよくある。かつての日本なら、身を粉にして自己犠牲で歴史の礎となる、と思えただろう。だがそういった努力の積み重ねがあったにも関わらず、安易な日本人がとって変わり、モラルハザードの蔓延する日本になってしまっている。高い倫理的要求やプロ意識は必要である。しかしそこに生き甲斐や使命を見いだせなくなったのは、その人の責任だけとは言い切れない。
そのあたりはまたフリーターや就業に関するコラムで詳しく書くと思う。
過去に三度の処分があったという事実や、オーバーランなどで今回の運転士への批判は多い。ただ運転士への糾弾を見ていると、批判はあってしかるべきとはいえ、上に書いた一面がちらほらと目に付く時もある。ヴェーバー
このような事故があり、なおかつ過敏反応が起きる場合、現場の人間のやる気に関わってしまうのが現代だ。例えば今のような状態だと、鉄道関係者があくびをしたり、休憩時間中に喫煙するくらいで、叩く人も現れるだろう。
特にマスコミなど、自分の系列会社以外で起きる事全ては飯の種である。マスコミは通常の企業の何倍も給料が出るが、それを支えているのは何でもかんでも騒ぎ立てボヤを火事にして、野次馬を煽る姿勢である。それに迎合してしまう野次馬根性や流行にすぐ流される大衆も反省が必要である。そのような安易な大衆がいるから、CMのスポンサーから大金がマスコミに流れる。
要するにこういった状況で、我慢して職務に忠実でいるのは過大な重圧である。我慢できるのは、例えば昭和のような自分が社会と一体感を感じて、社会と自分の成長が連動していた時などではないだろうか。今はそのようなものが無い。真面目に働くより、株などで一発当てて、と考える人も増えてきている。そのような人が高い社会的責任を要求すると、筋違いだとごねられてしまうのが現代である。
人間は必ずミスをするものだし、失敗しない人間はいない。勿論ミクロな観点で言えば、トップ陣などは責任を取り(辞める事が責任を取るとは思わない。辞表がまるで切腹のように扱われてるのには疑問を感じる。)、JR全体で今後の再発防止努力と社会的責任の自覚を表明しなければならない。しかしどんな役員と社員がいても、ミスは無くなるわけではない。
現実的に人間が取れる行動は、今後同じような事が起こる可能性を低くする、同じ事があっても被害を最小限に抑える仕組み、より迅速に救出活動を行うようにする、等だ。悲しい現実だが、なくせない以上はマシにするしかないのが限界だ。
マクロな観点で言えば、社会を少しずつでも変えなければならない。例えば過密な電車についても、今は環境対策でマイカー規制や公共交通機関の利用が推奨されているが、現実にはそれに対応するほど、公共交通機関が足りているか、インフラが充分な状況か、疑問である。
目先の事故を起こしたJR非難だけに腐心せず、改めて見直すところが多い事に気づかなければならない。個別の観点と、大局的な観点の両方が必要だ。ただ日本は台風や地震といった災害が多いために、忘れようとする、日々の最新時事に流されて忘れやすい、といった民族性のようなものもあると思う。だからこういった事件の教訓が、大局的な見方に繋がらなくなってしまわないか、というのが心配の種である。
今回は事件との関連として扱ったが、ゲーム脳にだけ焦点を当てて書くのはまた今度にする。
ゲーム脳についての参考
「ゲーム脳」徹底検証 斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖1
ゲーム脳関連リンク
昨日から本格的な調査が始められたそうですけど、
原因究明は困難らしいですね。
少なくとも「ゲーム脳」が主原因ではないでしょうけどw
ボクも今回のマスコミの報道の仕方についてはかなりの疑問を抱いています。これだけの大事故だからこそ騒ぎ立てるだけの報道は考えてほしいと思います。
また、よろしくお願いします
また遊びに来てください。
私もトラバさせていただきました。